入倉伸夫のシニアライフⅡ

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を考えるー補助として

中山道、17号国道以外の

 
蕨付近に古くからあったと思われる道をたどる》
 
 ◇ 戸田市下戸田へー76
 
 
{大宮台地の南辺の低地部から荒川の北沿岸の低地部へ進みます}
 
1945年航空写真 蕨市中央7丁目から戸田市下戸田1、2丁目など・続
 
 
自分は1945年(昭和20年)の敗戦後、小学校1年生として、今の蕨市中央7丁目郵便局付近に疎開先から移り住み、今の蕨市立北小学校、その分校、南小学校、蕨市立第1中学校へと進み、昭和26年に蕨市立第1中学校を卒業しました
 
その間、市内のいろいろな道を通り、登校、通学しましたが、その折に何時も”蕨付近は池や水溜りが多く、大雨のあとには1面に広がる田んぼは大きな水原のようになってしまう”と子供ながら感じていました
 
そして、このような蕨付近は昔はどんな状態だったのか、いつも考えていましたがなかなか想像がつきませんでした
 
仕事などの関係で蕨を離れ住んでも、時折り、頭の中でそのことを考えることがありました、リタイヤー後、また、蕨に戻り住むようになってからも、いろいろ市内を歩きながら思いをめぐらしていました
 
結局、もう少し積極的に歩き廻り、多く資料を調べ、掲示の航空写真なども得られました
 
その結果、航空写真などから「蕨市中央7丁目から戸田市下戸田1、2丁目にかけての”しゃもじを横にしたような地形”は、たぶん、古い時代(平安時代後半以前?)の古い川の流れを示しているのでは、少年時代に自分が見た池や水溜りはその跡なのではないか」と思うようになりました
 
やっと、幼少の頃から70年程を経て、永年の課題が解けたような気がしています(今後も歩き廻り、思索を続けますが)
 
独り善がりの勝手な思い込みかも知れませんが、皆様はどう思われますでしょうか
 

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