入倉伸夫のシニアライフⅡ

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を考えるー補助として

蕨市錦町5丁目付近から歩きながら、古を考える》

◇ 金子氏について (4

   難波田氏と「羽祢蔵(はねくら)合戦」

鎌倉時代の『難波田』氏は、何代かを経て足利時代室町時代の始めのころ)も難波田(南畑)の地に拠していたのですが、観応元年(1350年)の観応の擾乱(じょうらん)により危難を迎えます

観応の擾乱室町幕府の将軍足利尊氏とその弟足利直義の勢力争いで、かなり広い地域で争った騒乱です、京都から鎌倉に逃れた足利直義を討つため、将軍足利尊氏は観応2年(1351年)11月に関東に向け出兵し、12月に足利直義軍を駿河国薩唾(さつた)山の合戦で打ち破り勝利しました

観応2年(1351年)12月19日、足利尊氏に合流するため、府中(東京都府中市)に向かう高麗(こま)経澄の軍勢と、それを迎え撃つ足利直義方の波田九郎三郎の軍勢とが、羽根倉橋(志木市宗岡)付近で合戦し、波田九郎三郎
敗れて討ち死しました、この合戦を「羽祢蔵(はねくら)合戦」と云っています