蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を考えるー補助として
《蕨市錦町5丁目付近から歩きながら、古を考える》
◇ 金子氏について (5)
ー 「羽祢蔵(はねくら)合戦」と蕨・本法院、宝蔵寺及び一六の市 -
これまで歩き考え、調べてきたこととで注目すべきことがあります、それは
”羽祢蔵(はねくら)合戦で難波田九郎三郎が敗れ討ち死にした観応2年(1351年)と蕨の本法院、宝蔵寺の開山の文和元年(1352年)が1年しか違わない”ことです
ここからは、何の証拠もない、自分の勝手な想像・仮説ですが
『現在でも大宮、戸田、蕨には金子姓は多数おり、その殆どの祖先が「羽祢蔵(はねくら)合戦」で敗れた難波田氏の一族だったのではないか(難波田氏はその時から何らかの事情で元の金子氏を姓に戻った)、戦いに敗れた一族は散りじりになり、低湿地の中にある微高地を目指して定住したのではないか』ということです
そして、『難波田氏から金子氏に改めた一族のある一派が現在の蕨市錦町5丁目付近に、すでに自然発生的にあった”一六の市”の警固・保安・保護を引き受けつつ定住し、また、付近の開発・開拓を進め本法院・宝蔵寺などの開山を行ったのではないか』ということです
少し、考察が飛躍し過ぎでしょうか