2015-11-12 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を考えるー補助として 考古・歴史 #人類学と考古学 《蕨市錦町5丁目付近から歩きながら、古を考える》 ◇ 一六(いちろく)の市について (2) 平安時代末から鎌倉時代の初めのころには、蕨市付近も徐々に水面が下がり、安定して微高地(かって、大河ー古期利根川ーが乱流した時に出来たと思われる自然堤防の跡のようなところ)が現れて、今から約700年ほど位前には人々が多少の危険はあったのでしょうが、定住できるところとなったのでしょう そして、蕨市で最初に安心して人々が生活できるようになった場所が、蕨市錦町5丁目付近だったと思われます、現在の中山道と一六橋通りの交叉する付近一帯だったようです 現在の蕨市立西小学校の裏側(北西側)から錦町5丁目交叉点(中山道と一六橋通りとの交叉部)を経て、春日公園、本法院、17号沿いの蕨市消防署にかけての変形した「へ」の字状の横に細長いところが、陸地化して定住できるところとなったのでしょう