入倉伸夫のシニアライフⅡ

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を考えるー補助として

蕨市錦町5丁目付近から歩きながら、古を考える》

◇ 一六(いちろく)の市について (3 

むろん、当時は17号国道も、中山道も、一六通りも、一六橋も、なく水域の中に浮きでた平坦に近い陸地に雑木の茂るところだったでしょう、ただ、既に陸地化した周囲のところからは水域で隔てられてはいましたが、殆ど同じような距離で舟を使うとかすれば、それらのところからそれぞれが集まりやすいところだったのでしょう

また、陸地化したところの周囲は小舟が、容易に舟着けしやすい地形だったのでしょう、鎌倉時代中頃(1200年代)には農業生産もかなり豊かになり、自家消費だけでなく、物々交換・交易などの商業活動が自然と行われるようになり、それぞれが集まりやすいところに自然発生の”市”が現出したのでしょう

現存する中世の史料「市場之祭文(いちばのさいもん)」に見える”蕨”や”里”(川口市鳩ヶ谷)や”青木”(川口市)の”市”は同じような地形的条件をそなえたところだったのでしょう、自然的に成立し、次第に日時が決まっていったのでしょう

従ってその”市”の成立時期は明確ではなく、蕨市錦町5丁目付近の変形した「へ」字形の陸地のどこに”市”があったかも、必ずしも定まっておらず、その時の地形の変化もあり、一定ではなかったかもしれません

史料「市場之祭文(いちばのさいもん)」については、明日に掲載します